2013年12月18日水曜日

誕生~



屋久島から広島へ行き、先月23日に第二子が誕生した。その後妻は第二子「菊次朗」を見るため一月間広島にとどまり、自分は長男になった咲太朗と自宅に戻り悪戦苦闘しながら過ごしている。先日は実家のある埼玉で中学時代の恩師と展示会をした。

咲太朗は兄になると言う事に対して期待と心配とがまじっている様で、普段に無い行動をとることがある。いわゆる「赤ちゃんがえり」も最初は見られた。その赤裸々な様子を書くと本人(読めないが)が傷つくので載せないことにしておく。子供の成長は見てとれるので驚く事が多い。

今回の名前も周りを賑わせたようだ。結構予想されてしまっていた。
男兄弟と言うものはどういうものか、自分は弟の視点で、その大変さと楽しさを良く知っている。

2013年11月9日土曜日

制作風景

2013年11月6日水曜日

写真など







「目的と手段を間違ってはならない」。と自分に言い聞かせて登って行った。

自分は描くために登っているのである。風景を描く絵描きの性か、色々な場所へ足を運びたくなってしまうものである。

独りで歩き続けていて、ここがあまりに人の生活と離れていると感じた時、ふと、新宿駅の2階南口ホームの雑踏の景色と音が頭に浮かんできた。なんて対照的なのだろう、なぜこんなところに居るのだろうとあらためて思うと、なぜか可笑しくなってきた。そして、星野道夫が「旅をする木」の中で、「僕たちが毎日生きている同じ瞬間、もう一つの時間が、確実に、ゆったり流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅に意識できるかどうか、それは、天と地の差ほどおおきい。」と書いた一節を思い出した。



2013年10月29日火曜日

山籠もり

3日だけだが、白谷雲水峡付近を描くために山小屋に泊まり込んでいだ。標高は800メートル台にあり、水が豊富で苔も多く生えている場所。
苔むした巨木やツタに囲まれて過ごしていると、訪れて見るには素晴らしい場所だが、現場は決して長く滞在する場所では無いと感じる。人を棲まわせない森だった。

描いていると時折人か何かの気配を感じ振り向くのだが、鹿でもなく、何もいなかったと言う事があった。昼間から出るとは考えられないが、何かいそうな雰囲気はあった。

2013年10月25日金曜日

待機中

 歩道にいたサワガニ。他シカ、ガマガエルやタコ焼きほどの大きさのネズミなども見た。

4日目。屋久島は強い雨は過ぎた様だがまだ強風が吹きすさんでいる。今日までは宿に待機する事にした。

2日目は、まだ台風が来る前だったので縄文杉を下見しに行った。山中を画材などと一緒に歩くとどれ程か知っておく為、その日は描かないけれど持って行ってみた。雨が終始降っていた事もあり想像していたよりずっと大変だった。
実際描きに登る時は山小屋に2、3泊する予定なので往復ほど疲労は無いと思う。

山中にある巨樹はどれも風格と威厳があり、四苦八苦になり登っている自分とは別な時間で静かに佇んでいた。
これらをどう描くか。と言うより描かせて貰うと言う感じになる。樹は風景画の中でも人物画的要素があると感じる。

2013年10月22日火曜日

屋久島へ

羽田空港から鹿児島へ行き、屋久島へは船を使う事にした。最初の数日は台風で行動は出来なそうである。

近頃の屋久島がどれだけ人の手により管理されたものになっているかは分からないが、少なくともこれまで自分が描いて来た「人の手によって出来た景色」とは違う方向の題材と考えている。そのままの自然と向き合い描く事になる。これまではそう言った対象は畏れの気持ちもあり余り描かず、人の生活を何処かに感じられる景色を主に描いていた。
しかし色々描き続けていると、そう言ったものも描かない訳には行かないぞと感じるようになる。
最近大きなクスノキを近所に見付けよく描いていた。そうすると樹と言うものに魅力を感じ始めた。これも今回の旅の理由の一つ。

2013年10月14日月曜日

神代植物園



連休は天気にも恵まれていたので神代植物園へ行った。引っ越す前は近所だったがあまり訪れていなかった。バラ園は秋バラの時期で様々な品種が咲いている。まだ世に出回っていない品評段階のバラもある。ひとの目さえ気にしなければ、邪魔にならないように好きなものを描ける。ただ、光は変化するため、静物画のようには行かないと感じた。描き方は静物画と風景画を併せたようなものになるだろう。今は模索中。




2013年10月13日日曜日

広島では



宮島の浜辺。
咲太朗は広島で楽しんでいるらしい。保育園は終わった(卒業した)と思っているようだ。
まだまだである。

2013年10月12日土曜日

新規のブログ

新しいブログサイト。移動のついでに、これまでの記事をすべて分類した。

もう既に10月に入っているが、外は夏の陽気で描きに行くときも汗が出る。木々は「まだ秋ではないのかな」と紅葉のタイミングに迷っているようにも見える。

妻と息子が実家に帰っているので現在独り生活。と言っても問題があるわけではなく、里帰り出産の為。海外生活と違い、いつも誰かいる所に一人でいるとなると何か落ち着かないものである。
今月末に屋久島へ制作に行くことにした。そこから広島へ行く予定。

掲載記事

更新の際、以前アメリカから記事に載せたいと言うコンタクトがあったのを見つけた。
Lines and Colors
http://linesandcolors.com/2013/01/05/takuma-kaneko/

2013年8月22日木曜日

更新

 
 

久しぶりに更新。
アメリカから戻ってからは個展と制作、ときどき息子が夏風邪でそのめんどうを看ていたような日々であった。
今年は特に暑いというのは今更言わなくとも皆分かっているが、外で絵を描いているとその違いをよくよく感じる。近所の川の水が「湯」になってしまっていること。水遊びのために川に入る子供たちも「あったかい!」と嘆きともいえる驚きの声で叫んでいた。水の量が例年より少なく温まりやすいのだろう。
橋の下の日陰で描いた川の絵。


奥多摩の河原での一枚。さすがにここの川の水は冷たかった。


家の前の農家の人の小屋の前で水浴び。周りは住宅地だがこの場所は特別。

2013年7月9日火曜日

ニューヨーク

 
 


ニューヨーク市はメトロポリタン美術館に行くことを目的にして滞在を取った。三泊するので中二日は午前中〜夕方近くまで、出ては入って・を繰り返していた。セントラルパークに面しているため、休む時は外の露店でホットドックなどを買い、公園で食べながら気分転換した。しかし日中は暑かった。
美術館は勿論全てをじっくり見るのは無理なので、目的の展示室を何度も回っていた。それだけでも十分見応えがあある大きさ。人の密度も日本に来るフェルメールの企画展などの時ほど無いので、好きなだけ時間を掛けて、近づいてじっくり見て考えることができた。写真も殆どの場所で撮れる。しかし中には殆ど実物を見ず、写真だけ撮って立ち去ってしまう人もいる。写真資料など今やインターネットなどで見られるのに、実物を見ようとしないのは何なのだろうと考えてしまう。

色々見過ぎて帰る頃には頭がフラフラになっていた。
今回、風景画そして人物画の魅力を再確認した。そして過去の巨匠達には「センス」があり、二番煎じでない自身の画風を皆展開していることも、並んだ所蔵品の数々を通して見て改めて感じた。

2013年7月4日木曜日

 
 

結婚式は海外で行われるキリスト教の式で、初めての経験だった。ホテルの浜辺で行われたため、他の行楽者も遠まきからお祝いの声を送ってくれていた。
しかしながら自身、式直前にレンタカーのキーをトランクに入れたまま閉めてしまい、スーツに着替えることが出来ず、ジーンズにシャツという姿で端っこに参列することになってしまった。他の行楽者の位置かに居た方がいいと思えるくらいだった。しかし、式自体はとても良かった。
他の人達の協力のもと、鍵開け業者が来てトランクを開けてもらい、やっとスーツに着替えて食事会(日本で言う披露宴)に出ることが出来た。
初日の事と言い、何かが自分にスーツを着させないようにしているのではないかと思えた。
後者は自分のせいだが。

2013年7月2日火曜日

アメリカ

 
 

メイン州ポートランド空港に到着。今回は留学時代の大学の友人の結婚式のために来たが、そのついでにメイン州の景色とニューヨーク市のメトロポリタン美術館を見ようとしている。
到着後、いきなり預けたスーツケースが到着しないということが起こる。係員も何故か不在のため初日はそのままレンタカーでモーテルへ。遅れて到着した荷物は滞在先まで送ってくれると言うが、明後日にある結婚式に着るためのスーツが入っていた為、遅れては困るので、翌日再び空港へ行き直接荷物を受け取った。原因は荷物を載せた便がニューヨークでキャンセルになったからだと言う。預けた荷物は同じ飛行機に載せていない事もあることを今更に知った。この件で同じく荷物が届かなかった同じ便に乗っていたメイン州在住の一家に助けてもらい、友人になった。
そうでない人もいるが、親切な人は本当に親切である。



2013年5月25日土曜日

晴れ時々雨

 
 


左側の空から曇り空がやって来ている。
予報は「晴れ時々雨。雨か晴れかそれとも曇りか、どれもあるよ」と言うような物がこの所ずっと続いている。実際そう言う天気。
天気の変化は同じ景色でもその姿を大きく変化させる。それも一瞬を撮る写真と異なる絵の特徴と言えるが、中々まだ自分の技量では上手く取り込むことが難しい。道具で言えば、天気の変化が早いときは少ない筆数で対応出来る小さめのキャンバスに描くのが良いとは思っている。

運転

 
 

慣れない左ハンドル絵の運転はいつも以上に注意が必要だ。ハンドルが逆と言うことはウインカー、ワイパーの位置も逆。
なので最初は無意識にウインカーを出そうとしてワイパーを作動させてしまったり、対向車に合図のパッシングを出そうとしてワイパーの水を勢いよくフロントガラスに出したりしている、きっと相手のイタリアの人ドライバーには「一体この車を運転している人間は何を考えているのだろうか?」と思われているだろう。

とは言え、これでも安全運転には十分気をつけているつもりである。

マルモレ



マルモレの滝は紀元前3世紀ローマ帝国時代によって作られ、ヨーロッパで一番落差の大きい滝と言われている。今回は滝を描いてみようと訪れた。今は海や湖、川、滝など様々な水の姿の風景を描きたいと思っている。

18世紀に描かれたマルモレの滝。この頃と今で何が変わったか。多分当時と一番変わったのは入場料が8ユーロするようになったことだろう。
事前にインターネットで調べてた記事の倍の値段になっていたのには驚いた。
21世紀のマルモレの滝。上の絵は反対側の山の上から見たものだと分かった。

2013年5月21日火曜日

Lago di Piedilco

 
 


ウンブリア地方のテルニと言う所の近くに滞在中。そこにある湖の岸辺からの眺めを描いているところ。途中隣に釣りをする親子が現れた。イワナの様な魚が釣れていた。

先週から週間天気予報は全て晴れ時々雨。実際日によって晴れたり、曇ったり、時々雨が降ったりしているが、その日になってみいと全く分からなく予報はあまりあてになっていない。

2013年5月10日金曜日

 

滞在3日目

 
 

現在フィレンツェ3日目。
今週末にかけて天気が良くない様子。

個展などで「何故イタリアなのか」と聞かれることがたまにある。風景を描く自分にとって今イタリアの景色に光と空気感の魅力を再確認させられている。言葉で語り尽くせず、絵にもすべてを描き尽くすことすら出来ない(必要はないけれど)ものを目の当たりにすることで、自分の中に風景の魅力を蓄えていっている。行く度に絵に関する新しい発見や考察も、日本にいる時には無い早さで増えていく。
と、個展会場で上手に説明出来ればかっこ良いが、実際は「イタリアの田舎の方が好きなので、」で済ませてしまっている。これも嘘ではない。

フィレンツェで行きつけの画材やでled white(シルバーホワイト)を念のため買い足そうと思ったら、ヨーロッパでは鉛顔料の絵の具は販売禁止になって置けなくなったと言われた。

2013年4月6日土曜日

風の仕業

 
 

外も暖かくなってきた。寒くはないが今日も風のある日。

クヌギの木の花も長く伸びていく。匂いは青く甘くずっとかいでいると鼻の奥に響いて頭が痛くなってくるもの。以前屋外で働く仕事をしていた時、このクヌギの花が落ちてくるのを竹ぼうきで掃くことをしていた。掃いてきれいになったと思ったらふーっと風が吹き、ハラハラと落ち、再び掃いては落ち・・。秋の落ち葉の季節も同じであった。寺の修行もそうだろうか。「また散らかるならば掃く必要などないのに」と思ったが、きれいにすることより。掃くことに意味があるのだと考えるようになる。

息子は今日も朝起きて出し抜けに自分の上に乗り、そして本棚から絵本をすべて抜き出した。彼が家で起きて活動しているとき、必ず部屋は散らかる。そして寝たら片づける。起きてまた散らかる・・。日々繰り返しているが、これも片づけることに意味があるのだろうかと考える。息子は春のいたずらな風のようだ。
片づけることも勿論教えてはいるが。

2013年3月21日木曜日

最近の制作

 
 


大きな楠の木の幹。

今年の三月は風の強い日が多い。気温も急に上がる日もあり、眠っていた草花は慌てて芽を出し花を咲かせている様子。

2013年2月16日土曜日

「夜の絵」と「昼の絵」

 
 



絵を始めるきっかけになった中学時代の担任の美術の先生が、以前絵を始た頃、「夜に絵を描くと夜の絵になるから・」と言っていたのが頭に残っている。その時は「夜の絵?」と思いアンリ・ルソーか何かの絵柄が頭に浮かんだ位であまり分からなかった。以降それについて注意を払うようになってから何となくその意味が分かってきた。
夜は周りの騒音や雑用が無いので集中がしやすい。眠気から解放されると気持ちが盛り上がりやすくなって、作られた作品は濃厚、濃密になる。「作品」と言ったのは、絵だけに限らないからだと思うから。恋文などは夜に書いてはいけないとよく言われる。朝見ると読めた物ではないらしい。書いたことは無いけれど。
井上義彦の「バカボンド」を読んだ時、これはたぶん夜に描かれているのではないのかな、と感じた。後半など特に世界観が濃密になっていた。

表現によっては夜に書いた方がいいものもある。自分の表現しようとしている絵の世界観は「昼間より」の物だと思っているので、出来るだけ日中に描こうとしている。個展前などではそうもいかず夜中まで描くこともある。そうするとつい筆を入れすぎて「濃密」になり雰囲気が変わってくる。

アンリ・ルソーの作品は夜描いたのだろうか昼描いたのだろうか。
彼が生きていた時代はまだ夜の照明が発達していなかったから絵は日中描いていたのだろう。

2013年2月1日金曜日

ヒーロー

 
 

息子が保育園で覚えてくる事が多くなってきた。
ある日カレーを食べていた訳でもないのに戦いの最中「カレーパンチ」と言ってパンチをして来た。(戦いとは、息子が仮面ライダーで自分が怪獣で行うという設定の遊び)
アンパンマンのアニメは見た事ないしアンパンチも教えていないのだが。気付いたら、家の中には玩具の車、前掛け、靴下・・など、いつの間にかアンパンマンなどのキャラクターグッツが多く生活に入っていた。

子供の時以来久しぶりに見た最近の仮面ライダーなどは、ベルトだけでなく剣、色々な種類の指輪、果てには新しく出てきたライバルキャラクターのベルトその他等・大人の事情でグッツが増えているような気がする。

正義のヒーローのつもり。
絵を描くための「腕鎮」も息子に持ち出されて武器になってしまった。

2013年1月15日火曜日

東京雪の日

 
 




防寒をしっかりして出かけたので寒さに苦しむことは無かった。東京の雪での話なので雪国で描くときはもっと暖かくして出ないといけないのかもしれない。

春夏秋冬を揃えて何時か「野川の風景展」を開いたら面白い。

2013年1月7日月曜日

描き初め

1週間近く筆を持っていなかったので、始めるのに時間がかかった。絵の状態になれず怠っていたブログを更新したりしていた。これは、普段全く部屋で勉強などしていなかった中、高生の時、期末テストの勉強を始めようとすると部屋の片付けをしだしてまうような状態。恐らく新年仕事初めの人もそんな気持ちになっているのではないだろうかと勝手に思っている。
息子も今日から保育園に登園を始めた。久しぶりのお勤めで疲れたのか夜はふろ場でウトウトとしていつもより1時間早く寝てしまった。今、何の夢だろうか、「もう・かえって」と寝言を言った。

2013年1月6日日曜日

光について

「もっと光を」と、色彩論を書いたゲーテは亡くなる間際に言ったらしいが、暗く色彩のない部屋で最期をむかえるのは厭だったのだろうか。
冬至前後は屋外と共に室内が暗くなるのも早くなってくる。もっと光が欲しくなる。日中、外では十分な光で描けているのだが、室内で加筆修正したり、外で作った絵から大きな作品を作ろうとするとその時の明るさと光の色の違いに違和感を感じ悩まされる。

理科の話。光の「スペクトル分布(引用:http://i-zukan.net/より)」は屋外の太陽光(または空の光)と室内の普通の蛍光灯では大きく違っている。下の分布図では、太陽光と蛍光灯のそれぞれの波長での色の強さが分かる。太陽光はすべての色(波長)で連続して強くあるのに対して、蛍光灯は偏った特定の色域だけを強く持っている。

家庭用の蛍光灯では、ある特定の範囲の色は良く見える。
太陽光の色の移り変わりが平均的なのに対して、蛍光灯ではよく見える色とあまり見えない(見分けられない)色が出てくる。
照らす光は絵の画面に対して、各色をうつし出すもので、蛍光灯の光では絵の赤や黄色から緑の間の色、緑から青の色の違いがはっきり見えなくなってしまう。風景画では青や緑の使い分けが重要なので、それが見えず分からないまま描くのは、まるで鼻をつまんで食事しているような感じになってしまう。外からの自然な光のない夜に蛍光灯などの下で風景画を日中と同条件の見え方で描くのは、色の使い分けに関して至難の業なのである。
太陽光の下では見えていた黄緑~緑の微妙な違いが蛍光灯だと同じに見えてしまう。そうやって出来た絵は色の表現の幅が狭くなってしまうのである。
しかし屋内で描かなければいけない事も多くあるので、各色を出来るだけ見れる光源にしようと、今は高演色性の蛍光管を使っている。太陽の光とまではいかないが各波長の色をまんべんなく持っている。下はスペクトル分布図。
一般の蛍光灯のスペクトル分布

高演色蛍光灯のスペクトル分布

日中描く時に照らされる青空のスペクトル分布


「夜一生懸命描いて、朝、外の光に照らされて見たら全く大した事のない絵に見えて落ち込んだ。」と言った事はよくある話だけれど、夜の照明と太陽の光の演色性の違いも一つの理由になると思う。

しかし、絵を鑑賞するのは普通屋内なので、窓から自然光(直射日光でない)が当たるような場所に飾ってあったり、照明の整った美術館でない限り、鑑賞者が本当の色の豊かさを普段感じることは余りないかも知れない。

良い絵の条件は色だけではない、とも言う事になる。